私たちの人生は、よいことが続いてものごとがスムーズに流れる時があれば、思ったように進まない時期もあります。
「私はなんてツイていないんだろう」、「なんて運がないんだろう」と思ってしまう出来事も、生きている中では起こりますよね。
その反対に、こんなに全てのものごとが上手く行ってよいのだろうか?と思うほど運が良い方向に進むこともあります。
では、その運命の流れというのはどのように決まっているのでしょうか。
今日の記事では、運命と立命について、京セラ名誉会長の稲盛和夫氏の言葉からご紹介します。
自らの運命と因果応報の法則
私たちは、生まれながらにして進む道が決まっている「運命」というものをもっています。
しかし、その運命通りの一生になるかと言うと、そういうわけではないのです。
人はそれぞれ固有の運命をもってこの世に生まれ、それがどのようなものであるかを知ることができないまま、運命に導かれ、あるいは促されて人生を生きていく。異論のある方もおられるでしょうが、私はこの運命の存在は厳然たる事実であると考えています。
人は、たしかに自らの意思や思惑の届かない大きな「何か」に支配されている。それは人間の喜怒哀楽をよそに、大河のごとく一生を貫いてとうとうと流れ、いっときも休みなく私たちを大海に向けて運びつづけています。
では、人間は運命の前ではまったく無力なのか。そうではないと思います。
もう一つ、人生を根本のところでつかさどっている、見えない大きな手があるからです。それが「因果応報の法則」です。
運命というのは、個人の運命のみならず、地球の運命、日本の運命、地方の運命というものもあり、さまざまな運命が重なり合って存在するのだそうです。
「因果応報の法則」とは、よいことをすれば良いことが起こり、悪いことをすれば悪いことが起こる、善因は善果を生み、悪因は悪果を呼ぶ、という意味です。
すべの事柄には原因があり、そして結果が現象として目の前に現れています。
原因は、言葉を発したり、行動を起こした時のみならず、ただ思っただけでもその原因を作ります。今あなたが考えているその思いが、後に現象として現れるということです。
稲盛和夫氏は、運命と因果律、この二つによって人生は支配されていると説かれています。
運命を縦糸、因果応報の法則を横糸として、私たちの人生という布は織られているわけです。
人生が運命どおりにいかないのは、因果律のもつ力がそこに働くからです。しかし一方で、善行がかならずしもすぐに善果につながらないのは、そこに運命が干渉してくるからなのです。
普段からよいことを心がけ、悪いことは一切思わず行わず、よい原因のみ作ってきたとしても、その結果がすぐには現れないことがあるのです。
例えばあなたが長い間よいことのみをしてきたとします。すると、運命的にとても良くない時期に入ったとしても、現れる現象(結果)はそこまでひどいものでなく済んだり、何事もなくその悪い運命の時期をやり過ごすことができたりします。
常に運命の力と、因果応報の法則の力が入り混じって働いています。
運命と因果応報、どちらが強いかというと、因果応報の法則の方が、運命の力よりも若干勝ります。
人生を律するこれらの二つの力の間にも力学があって、因果律のもつ力のほうが運命のもつ力をわずかに上回っている。そのため私たちは、もって生まれた運命でさえも、因果応報の法則を使うことで変えていくことができるのです。
したがって、善きことを思い、善きことを行うことによって、運命の流れを善き方向に変えることができる。人間は運命に支配される一方で、自らの善思善行によって、運命を変えていける存在でもあるのです。
このように、運命に流されることなく、よいことを思い、よいことを行うことで、よい人生を作り上げていくのです。
因果応報の法則に従って運命を自分の力で変えていくことを、東洋思想では「立命」と呼びます。
このことは、中国の古典「陰騭録(いんしつろく)」に書かれており、天が決めた運命も、自分の力で変えることができるということが説かれています。詳しい内容は後日の記事でご紹介しますね。
よいことをしてもすぐに結果として現れないのはなぜか?
よいことをしてもすぐによいことが起こり、悪い事をしたらすぐに悪いことが起こる、というように、ひとつひとつすぐに現象として現れるわけではありません。
また、「あの行いをしたからあの結果が出たんだな」というように、『原因となる行いや思考』と『結果となる現象の繋がり』をひとつひとつ合わせるということは困難です。
このように、原因と結果の繋がりをはっきりと見ることがとても難しく、現象として現れる時期も時間がかかることがあるために、「因果応報なんてないだろう」と思ってしまう人が多いのです。
しかしながら、長いスパンで見れば、必ず因果の帳尻はピタッと合っているのです。
何か悪い行いをした人がまぐれや勢いでうまくいったり、善きことに努めた人が一時的な不運に見舞われて低迷したりすることもありますが、それも時間がたつうちにだんだんと修正されて、やがてみんながそれぞれの言動や生き方にふさわしい結果を得、その「人間」に見合った境遇に落ち着いていくものです。
それは怖いくらいにそうなっていて、原因と結果がピシッと統合で結ばれていることがよくわかります。短期的にはともかく、長期的にはかならず善因は善果に通じ、悪因は悪果を呼んで、因果のつじつまはしっかりと合うようにできているのです。
結果を焦らずに今の一歩一歩を大切にする
稲盛和夫氏が30年~40年のスパンで周りの人たちを見ていても、必ず因果応報の法則の通りにピッタリなっているのだそうです。
私たちはどうしても焦って結果を求めがちになりますが、そこをぐっと堪え、地道な努力をしていれば必ずその努力は形となって実を結ぶのです。
なかなか結果が出てこなくて辛い時、よい思いは良い現象として必ずいつか現れる、と信じて進んでみませんか?